自分が何したいかなんてわかんない

のに、中途半端に関わりのある人たちは、アドバイスの様に見せかけて一方的にそれがあたかも正解のように諭してくる。まるで自分が聖人化のように「こうした方が良い」「なんでそっちなの残念だな」など。

自分にとってそれはありがたい反面、迷惑でストレスで「お前が俺の立場になる訳でもないのによくそんな事言えるな。俺の目線で物事を見てるわけでも無いのに、なんでそんなに確信を持って人にとやかく言えるんだ」と思う。

ひねくれてる。だけではあるが、僕にとってこの考え方は非常に健全。もし友人が人生の二択で迷ってるなら、あくまで自分の意見として話すべきで、自分が望まない選択をしたとして一喜一憂するなんて、そんなの違うじゃないか。「お前がどっちの道選ぼうが俺は応援するよ」くらい言ってほしい。そのそも君の人生じゃないんだから。僕の人生なんだから。

しかし、ここで問題があって、僕は23歳で自分がやりたい事、夢らしき何か、目標が全く分からなくなった。一時期は編集者を目指したりしてたが、わかりやすく挫折。もうその指針が無くなって動けなくなった。

でもやりたいことは沢山ある。旅行、セフレを作る、一人暮らし、などなど。

でも僕月19万の会社を辞め、月13万で劇場に努めようとしている。

演劇を大学時代やってたから?舞台が見れるから?

舞台なら19万でも見れるし、別に劇場で働いて役者を目指すわけでもない。ただなんとんなく月13万の劇場で働く。この「ただなんとなく」の中に含まれる月13万はあまりにもリスキーだ。だったらまフリーターで演劇やってた方がましだ。といかわかり易い。目標もなく13万で劇場務めは、あまりに無謀。

なにがしたい?

これさえはっきり決まってたら。ヒカキンみたいに13万でも生きれるのに。目標があればみんな応援してくれるのに。それに向かって頑張れるのに。

こんなふわふわしたくないんだよ。何かに向けて頑張ってたいのに。

昨日同級生がが僕の誕生日に地元の公民館で自ら監督した映画を上演した。同じ中学の友達などがたくさん見に来てて、そいつと俺は同じ大学に行ってて、、

最後まで入れなかった。卑屈になって。かといって悔しくもなく、背中丸めて逃げた。比べられるのが怖くて。なんにも頑張ってないから。

今の世間は自由過ぎて息がし辛い。選択肢が多いから決められないんだ。選択肢が無かった世代の人たちが口々に「好きな事をしろ」という。

そのたびになんだか肩身が狭くなるな。

何かがどーにかなることを信じてみるブログ

趣味でブログ始めました, 主に本人が悩んだことを綴ってます。 観劇、映画の感想もちまちまと。 ツイッターやってます @editor2017Korea

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