渡辺源四郎商店「背中から四十分」

作・演出:畑澤聖悟 出演:三上晴佳 斎藤歩(札幌座) 天明留理子(青年団)    山上由美子 佐藤宏之 工藤和嵯 


私は大学から演劇を始めたので、高校演劇というものに一切触れずに通ってきた。高校ではその代わりに大人計画にはまり、どことなく高校演劇や、学生演劇、キャラメルボックスみたいな演劇をダサいとおもうようになっていたし、学校における演劇部のダサさもなんとなく分かっている。

そういう経緯があり、「もしイタ」で日本一に輝いた演劇部の演出をし、その高校を日本一へ導いた人の団体であり、公演という事で観たのだが、正直な感想を言うと、「普通に面白い演劇」といった感じで、よくできているし、楽しめたのだが、なんだか無難な演劇だなあと感じてしまった。

こうやって書いていて思ったのだが、自分は演劇を毎日のように見てはいるが、「演劇」が好きなわけではないのだろうなという事だ。おそらく、非常に良質な演劇作品があったとして、いくらその塞品が良くできていて感動しようとも、きっと自分にとってはゴキブリコンビナートのほうが楽しいし、眉村ちあきと公演で遊んでいる方が楽しいのだろうなと思う。

自分は、作品として演劇を楽しいんでいるのではなく、あくまで「体験」「ライブ」として演劇を観に行くし、楽しむので、これは極論なのだが、もし仮に客席に役者が乱入し、暴れまわる作品があったら絶対に楽しんでしまうと思う。

予想を裏切られたいし、驚きたい。そして笑いたい。

私が演劇に求める要素はこれである。なので、最近演劇を見過ぎたせい普通の特に笑いどころがある訳でもなく、ふつうにじっと席に座ってるような演劇がどうも退屈な気がしてしまっている。

なので、今回の観劇も、頭の中では物語を追い、登場人物のことを考えようとするのだが、心の底では、この人が急に踊り出したら面白いなとか、急にエッチな場面にならないかなとか、このまま役者が帰り始めたら可笑しいなとか、バカみたいなことを考えてしまうし、背中が痛いし、なんだか心ここにあらずと言った感じになってしまった。

観劇が向いてないのだと思う。最近見てる舞台だって、劇場公演は避けてるし、、、

だから、こんなことを思ってしまうぐらいだから、「演劇的」とか「ふつう演劇なら」とか「こうでなくてはならない」みたいな言葉が大嫌いだ。歌ったり、踊ったり、藁を手に持って振ったり、そんな作品を「それって演劇?」と疑問視してしまうような人とは会話が出来ないし、なんならお客さんが立ったり、踊ったり、歌ったりするのも演劇であってほしいし、席にじっと座ってる事だけが演劇だとは思わないでほしい。

演劇は、もっとも自由な表現であってほしいから、これはライブ?とかお笑い?とか考えないで全部演劇だし、全部ライブだと思ってほしいし、おれはそう思ってる。

だから、音楽ライブに行くのお笑いライブに行くのも、映画を見るのも、観劇するのも自分にとっては全部同じだし、同じ気持ちで楽しんでいる。

もっと自由になってほしいと思う。演劇が。劇場じゃないととかもうくだらないし、この劇場でやるのがすごいとか、関係ない。どこでどんな表現をするかが大事なので、もう川とか山とかでガンガン演劇をしてほしい。見に行くので。で、きっと山とか川とかでやる公演は面白いから。

まあ、誰に向けてこんなこと言ってるのか自分でもよくわからないが、そんなことを考えた公演だった。

自分は真面目に演劇を考える気もないし、真面目な演劇が嫌いなんだろうなと。

変なヤツ見たいです。教えて下さい。なんでもいいんで。

何かがどーにかなることを信じてみるブログ

趣味でブログ始めました, 主に本人が悩んだことを綴ってます。 観劇、映画の感想もちまちまと。 ツイッターやってます @editor2017Korea

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