ほりぶんはこれで三度目の観劇となる。衝撃的な牛久沼の観劇から、観に行ける公演は必ず観劇するようにしているし、期待外れだったことが一度たりともない。
今回の観劇も初めて牛久沼シリーズ以外の、ほりぶんの作品を見れるので楽しみで仕方なかったのだが、牛久沼シリーズのとはまた違った形で楽しませてくれたし、今回の話は、いままでのように100%無駄な、くだらない現象の連続といったわけではなく、しっかりと内容があったのが新鮮だった。
少なくとも、いま日頃沢山行われている演劇興行の中で、自分が一番純粋な意味で笑えるのがこのほりぶんという団体だ。
牛久沼を初めて見た時は衝撃で、もう本当に心の底から、このほりぶんが気軽に見れる東京に住んでいて良かったと思ったし、東京に住む価値はこういったイベントや小劇場が身近にある事だと悟ったきっかけにもなったのだが、それは一旦置いておこう。
演劇における笑いというものをよく考えるの。特に私は演劇の良しあしを「笑えるか、笑えないか」で考えてしまうので、どんなに内容が意味がない話であろうと、笑えればもうそれだけで満足なのである。で、このほりぶんという団体は演劇として抜群に笑える。もうとにかく異常なぐらい笑えるし、客席もすごく笑ってる。こんなに一体感のある会場はほかにない。とにかく、知ってる中で、一番劇場が笑い声で埋め尽くされるのだが、なにがこんなに可笑しいのかを考えないといけない。
ほりぶんを三作品みて思うのだが、主催の鎌田さんという人は、ほんとうにダウンタウンの影響を受けているんだろうなという事だ。
この人の作品には、ごっつでみられるようなモチーフが多く登場するし、ダウンタウンの笑いのエッセンスを随所に感じる。例えば、牛久沼で、ある親子の母親が乳房を引っ張られて、伸びきってしまうのだが、乳房が伸びきるというシュールなネタはごっつにも出てきていたし、牛久沼2にはかっぱ、や、ウルヴァリンや、魔法使いなど、非現実的なキャラクターが、突拍子も無く登場し、シュールな会話を繰り広げる。ごっつも非現実的なキャラや、擬人化された犬などが出てくるし、今回の飛鳥山では、途中に本物のサンバダンサーが登場し、東京の肌寒さに「サムイヨ」と震えるのだが、この外国人をいきなり登場させる発想も松本人志イズムを感じざる負えない。
こんなように、随所にシュールなネタや、差別的な可笑しさを含めなら、観客を笑わせてくるのだが、その中でも一番インパクトがあるのが、肉体的な笑いである。
牛久沼ではうなぎを引っ張り合い、それがほんとにくだらなくてどんどんわらえてくるのだが、今回も飛鳥山にある扉を開けたり閉めたりするのがほんとにおかしくわらえてくる。シンプルだけど、人が必死な形相で何かをするというのはおかしいし、泣いたり喚いたりするのは笑える。そんな本質を笑いにしてくれるので心の底から笑い声が出てしまうし、フリとかボケとか小難しいこと関係なく、親の変顔がおかしいみたいな根源的なおかしみな気がする。
ただ今回の会場は前回のカナリヤホールの上、ペガサスホールというしっかりと劇場の形をした場所だったのだが箱が変わるとまた雰囲気も変わるのだなと思った。
まず、前回の牛久沼3では証明もほぼなく、音響も微々たるものだったのだが、今回はしっかりと暗転もあり、演劇らしい演劇という印象を受けた。
前回のカナリヤホールは、なんだが爆発的な可笑しさがあって、それは主に身体を使ったものなのだが、今回はそれが少なく会話で笑わせたり役者の勢いで笑わせたりが多く、あくまで物語の中での笑いなような気がした。
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