当日券で5時から並び、
贋作 桜の木の満開の下 を見に行きました。
11月7日の事です。25歳以下のサイドシート席で3000円。
少々見切れてはいたものの、お得感しか感じませんでした。
野田秀樹の代表的、かつ夢の遊眠社から何度も再演している名作です。
野田氏が古典というのも頷ける、日本人の琴線に触れる作品だと思います。
今回、初めて見たのですが、
(もちろん前回は18?年前の新国立。見てるはずがありません)
正直、感動しました。
特に最期の膨大な量の桜吹雪の場面は、感極まりそうでした。
しかし、感動したのはいいとしてどうして感動したのかというと、凄く表面的な感動だった気がします。
ダイナミックな桜吹雪や、感動的な音楽、後ろの人のすすり泣く声、なんだか必死に演じてる両者。
とっても表面的な部分だけで感動していることに気づいたせいで、どうしても冷めたじぶんが残ってしまいました。
そもそも、前半から全くの初見だっただけあり、内容についていくのに必死で、しかもおいてかれていたような気がします。
膨大な言葉あそびに、日本の歴史や、文化の教養、そして原作の知識が一気に押し寄せてきて正直、
わからん。。!
となってしまいました。
休憩時間に、とりあえず少し調べて理解したのですが、それでもなぜ最期夜長姫が刺されるのか?
そもそも夜長姫って?というなんだか恥ずかしいくらいの疑問が拭えないのです。
自分のリテラシーが低く、教養と感受性が無いのかと凹みもするのですが、
もっと理解を深めて最期の場面で感動したいと思いました。真面目なのかもしれません。
なので、帰り道原作の夜長姫と耳男、桜の木の満開の下を調べたのですが、
なるほど、、
と思いました。贋作 だけあってモチーフや、イメージ、セリフはここからとっているのだと。つまり、原作を読まねばそもそも、わかりづらいんじゃね?
と。
2作の短編と、日本の国づくり、飛騨国の話とが野田秀樹の手によって編集されているので、やはり散漫とした部分があって当然なんだなと。
だから、僕は最近の野田地図の社会派な感じが好きなのでしっくりこなかったんだと思います。
徐々に世の中の不都合な部分と混じっていくようなヒリヒリさが無くて、少し物足りなかったです。
ただ、これがthe野田秀樹
なんだなと
平成元年に書いたらしく、その頃の小劇場の勢いや盛り上がりをこの作品から透けてみえました。
きっと、昔の方が勢いも、笑い声も熱量もあったんだろうな。。
野田秀樹ももっとどっかんどっかん受けてたんだろうなと思うと、
なんだか
時代は変わっていくし、その時その時で受け入れられる作品も違うんだなと感じました。
決して、つまらなかったと言ってるわけではなく、
旬は過ぎたんだなと思いました。
良くも悪くも古典となるのはそういう事です。
自ら古典と言っているので、
この作品が平成最後に上演される事でなにかの終わりが見えた気がします。
小劇場ブームの熱に取り憑かれた人々はいま40.50.60代で若い人はその頃の熱気を知りません。
ただ、若い人なりに演劇はまだ全然熱い文化です。
昔ほどじゃ無いかもしれないですが。
今回この作品を見て、ブーム真っ盛りの熱狂の一端を感じれた気がします。
青年館で上演されていたこの作品は見れないですが、
今は今の演劇を楽しみたいと思います。
あと、キャストが、豪華すぎ。
天海祐希の男役がかっこいいのと、
脇役がもったいないくらいに贅沢。
むぎちゃんとか一幕しか出てないし。
オールスターでした。
あと、これが演劇なんだなぁと思う場面がたくさんあって嬉しかったです。
演劇でした。これぞ演劇って感じでした。
他にも色々感じたり思ったりした気がするのですが
火の鳥 太陽編っぽいな とか、
完全に型にはめるよな、野田秀樹の主役って、、
とか、
まぁ意外と当日券で観れるので、
25歳以下は3000で観れるので
観た方が絶対良いです。
偉そうに語ってすいません。
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